日本民藝夏期学校3日目/因幡工房めぐり

恐縮ですが私もこの度の夏期学校に参加しました。
中でも3日目の「因幡工房めぐり」は鳥取に住んでいてもなかなか見聞できない所に行ける!というお楽しみなコースなのでありますラブ写真が上手く撮れていないのが残念ですが・・・とりあえずコースの紹介ができればと思います。因幡工房めぐりは2通りのコースがあり、選択できましたが私はAコースを選択しました。(ちなみにBコースは湖山池・阿弥陀堂→延興寺窯→岡益石堂→因州:中井窯(昼食)→智頭町石谷家住宅)


民藝の創始者、柳宗悦が源左さんのことを調べるために滞在したのが青谷の願正寺。(もちろん鳥取の吉田璋也さんの協力があったからこそのようです)↑柳氏が滞在していた客間から見た本堂。

青谷の願正寺(がんしょうじ)にある妙好人「因幡の源左」の名で知られる源左さんの写真と木彫像。↓
源左さんはおおらかな物腰や人柄を示す色々なエピソードが「源左語録」として語り継がれている信心深い方だったようです。と言っても正直なところ私は知りませんでした。冷や汗今回やっと「ようこそ ようこそ」という言葉の源が判明しました!(鳥取には至る所にこの言葉の石碑や書画があるのです)源左さんは来るもの拒まずで口癖が「ようこそようこそ さてもさても」だったのです。現代にこそ読まれるべき「源左語録」。心が洗われるような言葉の数々です。

次は同じく青谷、山根の「山根窯」石原さんの工房へ・・・↓

最近全国誌からの取材や掲載が続く山根窯。
今回の講師のお一人、安西水丸さんのお気に入り、山根窯のスリップウェアー(カレー皿にしているそうです)など石原さんの作品を夏期学校の皆さんも熱心に見学。

お次は私が一番知りたかった、謎の「阿弥陀堂」・・・見る(現在は鳥取民藝美術館の別館)
私は湖山池を国道9号線からしか見たことがなかったのですが今回はその反対側、それも小高い山の上から見ることができました。吉田璋也さんは地域文化・環境保護にも多大な功績を残しています。昭和40年代初めに湖山池にある青島に遊覧施設や展望塔を建てようとした動きがありましたが吉田氏は自然美を守ろうと阻止しました。鳥取砂丘、仁風閣の重文指定と修築、二の丸の石垣修理等々、その当時においては進んだ考え方(見識者)だったようです。
「阿弥陀堂」は湖山池の自然な美しさと民藝の美を味わうことのできる珍しい建物です。ここでバーナード・リーチ、浜田庄司、川上貞夫と吉田氏が一緒に写っている写真も残っています。

↓南側からの「阿弥陀堂」。茶室が2つあり、今回はサプライズで着物姿のご婦人方による抹茶のおもてなしがありました。八角面の窓から湖山池が一望できるその建物は実に日本的美空間でした。鳥取に海外からのVIPが来鳥された際には是非ここでおもてなしをしたらどうでしょう?

お昼を賀露の「かろいち」で・・・県外からの参加者はかにっこ館も見学。
最後に訪れたのが河原(かわはら)の中井窯。

三代目の坂本章さんによるお話。

↓3色染め分けの大皿。せんべいが美味しそう~♪
梨もこの大皿で出されていましたが似合っていました。

熟練の技、2代目「鳥取県伝統工芸士」、坂本實男氏による実演も見せていただきました。

県外から参加の皆様、3日間お疲れ様でした。
鳥取の良さを少しでも感じていただけたら嬉しいです。
私にとっては「再発見!鳥取」という3日間でした。

まだ後 6日間「吉田璋也の新作民藝家具展」が続きます。
民藝カフェも何気にやってます♪
お気軽にまる達焙煎珈琲、飲みに来てください。

スペシャルゲスト 安西水丸さん

日本民藝夏期学校の2日目、イラストレーターでエッセイスト、民藝大好きな安西水丸さんが講師として来鳥されました。民藝との出会いから現在実際にご自分が使用している書斎の椅子などを画像と共に紹介してくださいました。時折、脱線しておられましたが「え~っと、結局僕がいかに鳥取の民藝が好きか・・・ということが言いたいわけです。」と言ってフフフ、と笑って元に戻すところがチャーミングでした。肩に力が入ってないお話はとても好感が持て、安西さんの美意識に流石!とため息。。。

↑メイン会場のスペース空には60人以上、熱気ムンムンでクーラーが効かなくて・・・汗汗申し訳ありませんでした。

↑県内の参加者は一番上のフロアで同時中継びっくりこんな感じです。40人程度の人数でしたが皆さん真剣に聞いておられました。終わると拍手もあり、一体化しておりました。プロジェクターには安西さんのアップ画面と愛用の辰巳木工製作の「座彫曲木肘掛椅子」の画像です。