三つの写真展  さぐり、たぐる。開催中!

三つの写真展 さぐる、たぐる。
主観や内面に起る感情の表現を探り、手繰る。という共通の想いを確認し合った3人によるそれぞれの個展です。


▲クリックで文字が読めます
池本喜巳写真教室に通う3人の展覧会について池本氏の寄稿文。

軽妙洒脱で愛情溢れる内容です。
▼岩谷 亮 「in flat」
                 
▼出村 雅俊「鬱屈」

▼モリタソウイチロウ「トットリ感光」


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新鳥取駅前地区商店街振興組合のイベント企画を担当されている長尾和也さんがこの展覧会について丁寧に書いてくださった文章を紹介します。

「岩谷亮さんの作品は、平面ながらも空間の迫力が伝わってきます。

ありふれた風景も、実は細かい情報の蓄積です。

ディテールひとつひとつが存在感をもっています。

聞くところによると、デジカメのデータを何枚も合成して、100,000,000画素の写真を作り上げているそうです。

普通、目に見える一瞬は、目のピントがあう部分だけですよね。

岩谷さんの作品を通じて、「今」という一瞬を様々なポイントで鑑賞できると感じました。



出村雅俊さんの作品は、うごめく闇とするどい光が印象的な作品でした。

「鬱屈」がテーマだということですが、ためこんだ内面のエネルギーが、生きているような闇を描きだしていて、なるほど、「鬱屈だ」と感じました。あえて古いレンズをつかって撮影もされているとのこと。そうすることにより偶然生まれる、経年劣化したレンズの自然な味を、写真に撮りいれているとのことでした。



モリタソウイチロウさんの作品は、都会とはちがうひなびた鳥取の「色」を、巧みに表現しています。モリタさんは、銀塩プリントによる作品にこだわっておられます。手間がかかるやり方で、今では、鳥取でも1人か2人いるかいないからしいです。現像液の扱い、暗闇での作業、色合いの調整などのモノづくりのような過程をへてつくられる作品には、個人の熱量がこもっています。銀塩プリントで作られたということを知っていると、例えば夕焼けの光をうけているうす雲がつくる微妙なグラデーションをつくるのは、たいへんだろうなあ、と1枚の作品に物語として、奥行きが生まれてきます。



モリタさんは、さまざまな銀塩プリントならではの、ギミックを試されています。例えば、黒くて太い線で分割され、異なる画が1枚の写真の中にプリントされている作品があります。これは、ブローニーというフィルムがもたらす一種のミスで、プリント屋さんなんかに頼むと破棄されてしまう写真です。しかし、「偶然」異なる画が1枚に同居していることで生まれる「意味」を発見し、作品としてつかっているそうです。自分でプリントしているからこそできる発見だと思います。



また、ぼんやりと木の陰が見える作品では、乳白色が充満した画面に、ぼつりと黒い穴が存在しています。この穴は、現像の過程でフィルムが焼けてできたものだそうです。全体的をぼんやりと見てしまいそうな写真なのですが、黒い穴が、見なくてはならないものとして存在しています。どうしても見てしまいます。視線をコントロールされているように感じます。自分の意識に裏切られるような体験は、意外性を生み、作品が強く印象に残りました。



偶然性が写真にとって大事なもののひとつ、と森田さんにうかがいました。確かに、黒くて太い線で分割された写真も、黒い穴の写真も、偶然に生まれたものです。本来ないものに意味を見出して、作品として世に出すのは、勇気がいることであり、人間性があらわれてくるなあ、と思いました。



他にも、写真について様々なことをうかがいました。

3人の方の写真には、それぞれの工夫がつまっています。

もちろん、見るだけでも、感じ取ることはできるのですが、

話を聞いて作者の感性を取り入れて見ると、

自分だけでは気がつけなかったものに気がつけます。

鑑賞を通じて、新たな自分を発見できます。

こうした面白さは、街なかのギャラリーならではだと思います。



さて、写真展『さぐり、たぐる。』は、次の日曜日までの公開となっています。写真を撮られている方もそうでない方も、これまで写真の鑑賞に関心がなかった方にもおすすめです。モノを見る目が一新されますよ。」
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作家在廊予定表です。 

16日(火)岩谷・出村。
17日(水)出村。
18日(木)モリタ15:00まで。
19日(金)岩谷。
20日(土)岩谷・出村 /19:00~パーティー岩谷・出村・モリタ。
21日(日)岩谷・出村