山口敏郎作品 その1 (2F)


上の会場では山口敏郎さんの作品展を開催中
絵の具の研究を長年続けられ
不純物をなるべく排除した絵の具を作って制作されています(ベラスケス頃の時代の絵の具?に近いと言われたかな・・ゴヤ?グレコ?間違ってたらすみません)その色味も味わい深いので実際にご覧頂きたいです。スペインの風を感じていただければと思います。

山口敏郎さんの頭の中

今年の夏に神奈川県小田原市にある「すどう美術館ギャラリー」で個展を開催。その時の会報誌AQUAに掲載された文章を紹介します。

「過去は記憶できるが修正できない。未来は修正できるが記憶できない。」

今回の展覧会‐思考の襞‐の中の「白い華」のインスタレーションはギャラリーの壁に穴を開けて順次その穴に「白い華」をさしていくものだが、最初から作品全体の設計図があるわけでなく、任意に第一番目に置かれた「白い華」が次に置かれる「白い華」の位置を誘導し、最後の「白い華」が置かれるまでこの行為が繰り返される。前に戻ってその位置が修正されることはあえて避ける。
よってこの作品はインスタレーションというよりサイトスペシフィックな作品といえる。つまりその場所でしか現せない一回性の作品である。さらに出来上がった作品の展示というよりその過程自体が作品であるわけだからパフォーマンスでもある。
ここで私が表現したい主題は、「時間形式」の具現化(マテリアリゼーション)への試みである。
一つの「白い華」が置かれる毎に新たな「今」が訪れ、知覚内容は変化する。それは目の前にある存在である。だが、こうして新たに訪れる「今」も次の「白い華」が置かれることによって絶えず押しのけられ、「たった今」となる、それはもう既に存在しなくなる。こうして、存在と非存在が常に反復されていく。 そのようにして流れている「今」というものは、止まっている「今」でしか捕まえられず、その止まる「今」は流れている「今」の分断化されたものである。全てが同時に「今」ではありえないが、全てが一度は「今」であった。新たな「今」が次々に現れて、「今」が「たった今」へと変化し、この「流れ」がまさに「過去-現在-未来」の時間形式を形作る。だから時間形式は、川の流れと同じように、動きによって成立する形であり、静止状態ではない。
さらにここでの時間形式へのアプローチから副次的だがアートに関わるテーマが導かれる。それは制作者と作品とのハーモニーあるいはその相互性である。
最初に置かれる「白い華」の位置は制作者が決定するという主導権をもっているが、その最初の「白い華」があたかも白い紙に最初に落とされた一滴のインクのしみのように、強烈な視覚情報が制作者を刺激し、それに答えるように二個目の「白い華」の位置が決められる。こうして新たな「白い華」が置かれるに従い段々と壁は複雑な視覚情報を発してくる。
そしてそれにつれて壁という環境にも主導権が移って行き自立的性格を帯びて来る、制作者と環境とのインタラクティブな共生調和が生まれるのである。

山口敏郎