フナイタケヒコ展 Drifting Sight 


ギャラリーそらの企画展で4回目となる「すこゆる」は陶芸と絵画を組み合わせたいという私の希望が叶えられました!以前からフナイタケヒコ氏の「夢読み空間」シリーズが合うと思っていたのでダメもとで協力をお願いしたのです。やった~ラブ思いは通じました(笑)
木枠に絹本(絵絹)/コンテパステル(右側)・油彩(左側)


ギャラリーそらの2Fではフナイタケヒコ展が開催されています。全体の写真を撮るのが難しいです。少しでも雰囲気を感じていただけると良いのですが・・・。
今年6月に東京六本木のShonandai MY Galleryで個展出品作品と半円形の壁に展示してある作品はDrifting Sight シリーズの進展を感じられる新作です・・・見る
色彩の向かう先を感じたり、余白の美しさを発見したり、空間と一体となったかのような作品は優しくリズミカルに話しかけてくるようです。心の感じるまま身をまかせて鑑賞してみてくださいね。

 小川真記子 銅版画展 Blanc+Noir ブランノワール


 
銅版画というと誰もが黒と白の暗い(?)世界を思い浮かべるかも知れない。
日本の作家では、生をにじむ線で刻んだ池田満寿夫、日常を軽妙なタッチで描く山本容子、メゾチントでビロードのようなマチエールを作った長谷川潔、漆黒の中に浮かぶサクランボで有名な浜口陽三辺りであろうか。私が工房で生徒の皆さんによく見せたのはデューラー、レンブランド、ホックニー、ヤンセンなどヨーロッパの作家の作品。
そして、多くの画家のリトグラフや銅版画などを見せた。欧米の画家で版画作品を残していない作家はほとんどいない。
 ザウルス銅版画工房で3年間、銅版画を学び製作した小川真記子さんが2度目の個展を開く。タイトルにあるように銅版画の基本である「白と黒」の表現だ。「安直に色を使うより、黒の中に色を見出してほしい」と 伝えていたが、自身の工房を持ってからも2年以上製作を続けている。彼女の第1作目をはっきり記憶しているが、そこには彼女のイメージがこれでもかという程、散りばめられていた。そしてすでに技法を即座に理解し、形にするセンスを持ち合わせていた。そして何よりも面倒な技法にトライする忍耐力を持っているし、むしろ楽しんでいる。
彼女の描く世界は当初から、「時空を超えて自由に行きかい、錯綜するイメージ」とでもいったものであった。神話の世界がありそこに自身の投影とも言える主人公がいる。
何層にも重なって表現されたイメージの中を彼女は旅し、遊ぶ。その中に喜びや悲しみ、願望や夢が描かれている。
 アクアチントという技法を多用する彼女のテクニックは多彩である。これは固形の松ヤニを細かくつぶし、それを銅板の上に撒き、温めてから腐食する、という手間のかかる作業であるが、彼女はそれを思い通りにコントロールして形にする。
 「前奏曲」はこれまでの彼女のイメージを引き継ぎ、重厚な描写で女性の顔のアップの背景に花が揺らめき、空を蜂が飛び、見る者を広い世界に導いてくれる。「core」は大きな花と人物の重複するイメージでエロティックである。核を描こうとする彼女の視線であり、「生きるってなんだろう」という自身への問いかけとも見える。今回新鮮に写ったのが「私の小さなわがまま」。かわいい「ぶた」が描かれていてコミカルで、軽やかなタッチに好感を持つ。「あれやこれや」の感はあるが、今はそれでいいと思う。その中でテーマが絞り込まれていくのだから。
 腐食されてできた線をルーペで覗くと、シャープな溝ではなく、地面をスコップで掘ったようなゴツゴツした溝が見える。銅版画はある種日記のように、我々が日々笑い悲しむ生き様を「刻む」作業であると思う。作業をしながらよく話をした。「これから結婚して母になり、年を取って行く。その時々の自分の想いを刻み続けてください」と。彼女は昨年結婚した。そして作品が少し軽やかになった。これから母になって、年を重ねて行く中で、どう作品が変わっていくか興味津々である。
ザウルス銅版画工房主宰 徳持耕一郎
(10月6日 日本海新聞掲載)